アマクサウミウシvs.カワハダウミウシのメモが出てきたので載せちゃお。
結論から言うと、「本州のウミウシ」の学名はどちらも正しい。
和名は大きないぼのパピがアマクサウミウシ。
小さな眼紋のベルがカワハダウミウシ。
混乱の始まりは馬場先生の誤同定(馬場先生、ごめんなさい)。
学名と和名は別に考えたほうがわかりやすい。
A.papillatusの日本初記録はBaba,1937のA. japonicusとした個体。
A.verrcosusの日本初記録はEliot,1913の A.japonicusとした個体。
和名カワハダウミウシの初出はBaba,1949; この個体について学名はA. laevisが当てられているがA. verrcosusが正しい。
和名アマクサウミウシの初出は肥後・後藤、1993では1937になっているが、これは確認がとれない(Baba,1937. Opisthobranchia of Japan (Ⅱ)で和名の提唱はされていない)。
Baba,1949には出ているが(新称)が付されていない。なお、この個体については学名 A.japonicusが当てられているがA. papillatusが正しい。
A.laevisは A.papillatusのジュニアシノニム。
A.japonicus は A.verrcosusのジュニア・シノニム。
馬場先生の同定は考慮しないほうがわかりやすい。つまり図と記述からの再同定が必要ということ。
Hori&Fukuda,1996によるアマクサウミウシ A.japonicusはpapillatusが正しい。
「沖縄のウミウシ」からもう少しで2年。さすがに新顔の出も鈍ってきました。あの本まででだいたいの沖縄諸島のウミウシ相はわかってきたしね。もうこのへんで「近視眼的」に後鰓類とつきあうのはやめようかな。少し距離を置いて・・・つかず離れずですね。1ダイブ20種以上は出すぎだよう。でもウミウシだけでいい、というお客さんはそうおっしゃってください。ガンガン出します。
もちろんこれからのガイド業としてはもっとハゼやエビにも目を向けて。きれいな被写体を!!でもあんまり深いところや流れのきついところはちょっとなあ・・・。
ウミウシの世界にいると、雨後にそこらへん歩いている黒いナメクジすら他人に思えなくなってくる。まあ、生物学的には当然のことなのだが・・・。
最近のDNAによる種分化の解析でもナメクジは嚢舌目の次くらいにくるらしい。
ナメクジにドキッとするような人生も面白いけど、なんかなあ。ナメクジどころかキャベツについた青虫もウミウシに見えたことも、あった・・・かなあ。でも野菜の虫取りは擬態を見破るいい練習になるのだよ。
そういえば沖縄のカメムシの仲間はクサイけどきれいな種類が多いです。
海でこそのきれいでかわいいマクロ生物探そうね~。
さて先日、テレコンさえつければなんかしら被写体はあるべえという大変甘い考えで海さ行っただよ。その結果は惨憺たるものであった。あああ・・・・。しかし、ホヤや一部のカイメンなど、普段気にも留めないような生物に目がいったのはまあ、収穫であった。ホヤは最初から狙っていたんだけどね。どんなホヤが、どんなところに、どのくらいいるのか、まだあんまりわかっていないみたいだしね。
ハゼ・ウミウシ・エビ狙いで、余ったフィルムをそこらへんの付着生物か、サカナの顔アップ-というのが、まあ無難な満足度の高いダイビングとなるのだろう。最近はデジタル記録なのでフィルム代や現像代を気にしなくてよいのはいいけど、この1カットに何百円かかっている、という経済観念つーか、真剣勝負つーか、ゴルゴ13のスーパーショットのつもりになるのは必要だよね。そしてやっぱ光学ファインダーだな。そしてフェザータッチのアーマライト、じゃなくてアンティスだ。
実は小野にぃにぃはデジタルカメラちゅんはケータイの200万画素のやつしかもっとらんのですね。で、それすらやっとこさリーダーを買って、パソコンに読み込めるようになったばかり。そんな程度だから、お客さんのD70のあがりを見て、正直腰が抜けただよ。すごいね。もうフィルムの時代は終わったなー。
でも自分の写真がモニタでしか見られないつーのもなんか寂しいつーかもの足りんわな。そしてオレのPCメモリ1ギガしか積んでないんだけど、ローデータいじるのには足りないんちゃうか・・・。しまったかな。
最初にエントリーした’01年の第17回NAHAマラソンは散々な目にあいました。まだ「30キロの壁」の存在を知らなかったのです。つーか、それ以前の問題でした。
スタートの混雑で20分もロスがあったこともあり、はじめからガンガンとばしたのです。人の波を掻き分け、縫うように抜きまくりました。で、ハーフの地点を待たずペースダウン。25キロからは右足裏の外側が痛み始め、それをかばった左足の腸脛靭帯も痛くなって・・・必死に歩いて競技場に戻ったときにはすでに制限時間(6時間)を15分オーバーしていました。このときは制限時間外完走証という悲しい紙切れをもらいました。翌日はホテルのベッドからトイレに行くにも這うようなありさまで、病院直行。医者には「昔はあなたみたいな人もいたけど、最近いないよ」と言われてしまった・・・。
交通規制が解除された道路を、歯を食いしばって大またで歩く(もう走れないのよ)---赤信号で止まらなくちゃならない---なんともいえない気分でした。(渡嘉敷の鳥塚もアウトになったビデオを見て、少し癒されました。他人の不幸は蜜の味ってか!)
そして少しは学習をした翌年、今度はゆっくり、まっすぐを守ってやっと完走、5時間42分・7846位。実際は35キロくらいから歩いてしまったんだけど。このくらいの順位になるとひめゆりの塔の近くの沖縄そばも売り切れで、ちょっと残念。でも20キロ過ぎからは歩いてるランナー(言葉に矛盾があるな)を3000人ほど追い越してとてもいい気分でした。、
さらに練習をつんだ翌年(といっても10月月間150キロくらい)目標は5時間切り。ところが5キロ地点にも達しないうちにおしっこがしたくなり、国際通りのセブンイレブン(だったかな)に入ったらすでにランナーが5,6人並んでいるではないか!スタートで15分ほどロスをしているのに、さらに10分!!で、あせってまたちょこちょこ追い抜きという愚を冒してしまったワタシの足は、腸脛靭帯炎になり24キロでオシマイ。立って一歩を踏み出すことすら困難になってしまったのであります。でもソバは食ったぞ。この年のNAHAマラソンはひめゆり手前の沖縄ソバがすべてでした。実は普段は沖縄ソバをあまり好まないんだけど、これはうまかったぞ!!
’04年は申し込みはしたが、8月下旬に酒飲んでこけて、ひざをやってしまいました。で、不戦敗。ここまで、沖縄マラソンも含めると5戦1勝2敗2不戦敗。なななんという戦績!
そして昨年末の第21回NAHAマラソン、やっとこさ歩かずに走ってゴールできました。ネット4時間24分。4時間半を切るのが目標でしたのでどうにか達成ってところです。でもゴールから座間味の人の集まっているところに行くのが一苦労。足はやはり終わっていました。練習では10月に月間190キロを走っていたので、まあ、年齢と素質からすればそれなりの記録? ランナーズという雑誌によると、効率悪いみたいですが。
最初のころはダイバーズウオッチ(!)をして走っていたんですが、さすがに現在はセイコースーパーランナーズというランニングウオッチをしています。で、克明に記録をとるようにしています。それによればこのときのハーフがグロス2時間12分、入りの0~5キロが33分58秒、35~40キロが33分58秒、ラスト2.195キロが12分59秒という自分としては驚くべきイーブンペースで走れました。次は・・・きっと欲が出て、撃沈するかもしれません。少なくともサブフォーを射程圏に入れるにはキロ5分40でいけるとこまでいこかーとも・・・。
小学校、中学校と実は陸上をやっていました。でもそれはなんと走り高跳び・・・。瞬発力の強化にばかり目が行き、持続力はサッパリでした。中学の校内マラソン大会、学年200人いれば、150位以下でした! 高校のマラソン大会では途中わき道に入り、タバコをすっていました・・・。道端の柿も盗みました---渋柿で、口の中が渋渋になりました。おお、そういえば高校3年のときの総合成績は200人中、170位くらいだったか?バカですね~。
ヨレてきたときの走り方がおかしい、と同じ陸上部の女の子に言われたのがトラウマになり、以降ヨレるような競技は避けて生きてきました。益田一に会うまでは。まあ、フリッパーも1時間もこいでいるとげっそりしますが、ランニングに比べりゃ屁でもないです。20数年前に、フリッパーから自転車に競技を替えたた歯医者の中原先生という伊豆海洋公園の大先輩が、「フリッパーなんて自転車に比べりゃうちわで扇いでいるようなもんだよ」とおっしゃったのを未だに覚えているのですが、やはりそれぞれ使う筋肉は違っていて、練習にもそれぞれのキツさがあります。
しかしランニングは溺れないし、自転車で倒れるようなリスクもないことから、マジに自分を追い込むことができます。30キロを超えれば足は棒のようになります。でも棒ならまだ走れます。この動きを止めたらもう前に出ないな、と思うこともあります。だったら動きを止めなければよい。体幹部の疲労はもとよりレースでは呼吸筋の疲労さえ感じることもあります。160近い心拍数を数時間続けながらなおかつ自身の体を中に浮かせ、前進させる作業はある意味マゾヒスティックかもしれません。
でもここまでトレーニングが進めば、あとはなるようになります。なりたいようにはならないかもしれませんが。大切なのはそのきっかけでしょう。私の場合はたった3段の階段を上がろうとしたときの足の違和感でした。なんと当時45前なのに萎えを感じたのです。これはまずい、いくら真ん中の足が元気でも、その両脇がしっかりしていないと人生さびしいやんか。走るか! ではNAHAマラソンじゃ~と簡単明快にマラソンの世界に入っていったワケなのですね~(3キロ走るのがやっとだったくせにね。今でも月間走行距離の割にはタイムがねえ)。
ランニングでスタミナがついてきて、ダイビングも楽になってきました。でもこちらはダイビングと違って何年やってもタイムで区切られる単純明快な実力の世界ですので、万年初心者ですよう。あこがれのターサージャパン(レース用のシューズ、初心者が履くと足が壊れる)が履ける日はくるのか?
さて次はそのNAHAマラソンでの体たらくを・・・。